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毒入り-2000年6月23日の変更点

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!!!雨の風景

どうも最近更新ペースが速い。
会社に来て最初の1時間ぐらいは必ずWebでニュースを読むことにしているのです。情報収集の為に。(社長!ごめんなさい!)
で、ついでに自分のHPの掲示板もチェックしてしまう。
で、ついでに雑感が書きたくなってしまう。
気がつけば昼休みになってしまう。で、今日も残業。

で、本題。

私は雨が嫌いである。
嫌いであるという表現は適切ではない。「怖い」のである。
何かに襲われてしまうというのではなく、得体の知れない怖さである。

深層心理学によると「原風景」というものがあるという事を聞いた事がある。
深層心理学なんて本当にかじった事もないので正確な事はわからないが、私は「何かについての根本的なイメージ」だと理解している。

私の「雨」についての原風景は「無」である。
「何で?」と聞かれても「無」なんだから仕方ない。
最も、「無」と言っても本当の「無」ではなく、「孤独」と言った方が正しいのだろうが。

「雨」と言われて頭に浮かぶのは小さな頃に住んでいた団地の雨降りの風景である。
既にそこを引っ越して10年余りが経つが、当時ですら築20年を超えていたオンボロ公団住宅である。

鉄筋コンクリート5階建て。全17棟(だったか?)
東京オリンピック頃の高度経済成長期に造られたものだと聞く。当時どこにでもあるような典型的な「団地」だった。
棟と棟の間には芝生の広場があって、所々に公園があって、名前はわからないがモコモコした低木の常緑樹が芝生の周りに植えてあった。桜の並木もあった。
駅からのバス通りの反対側には通っていた小学校があった。学校のそばには小さな商店街があり、公団の「マーケット」なるアーケードの商店街もあった。6件ほどの店の集まりなのだが。

安い公団団地のご多分に漏れず、若い夫婦と小さな子供がいっぱい住んでいた。
私もそんな小さな子供の一人だったのだが、建物は古くても人情と活気のあるとても居心地の良い団地だった。
近所のおばちゃんや、公団の掃除のおじさん、マーケットの駄菓子屋のおばちゃん、友達のお母さん・お父さん、籠を背負って野菜を売りに来るおばあさん、サイドカーで豆腐を売りに来るおじちゃん。
当時門限が5時だった私は、「豆腐屋さんが来たら帰ってくるのよ」と母に言われていた。
4号棟の向こうからサイドカーのバイクの音と、豆腐屋さんのラッパの音が聞こえてくると恨めしく思ったものである。

私が住んでいた棟は団地の端の方にあり、目の前に(子供の目には)大きなグラウンドを持つ公園があった。
近所の友達が何だカンダで10人ぐらい集まって、いつもそこで夕方に野球が始まった。
軟式のときもあればカラーボールでやる事もあった。
父が買ってくれたグローブは人とは違って黄土色で、自分のちょっとした宝物だった。
日曜日は父とキャッチボールをしたものだった。

5時の門限にも例外があって、そのグラウンドでみんなで遊んでいる時は夕飯の支度が終わるまではそこで遊んでいても良い事になっていた。
野球だけでなく、「鬼ごっこ」とか「ドロジュン(地方によって色々呼び方があるらしい。「ドロケイ」とか「泥棒鬼」とかいろんな名前があるらしい)」とか「六ムシ」とか「ドッジボール」とか、それこそありとあらゆる遊びをやった。
よく「現代っ子はみんなで遊ぶ方法を知らない」とか言われるが、その区分を適用するならば、私は最後の「非・現代っ子」という事になるだろう。
時々流行りで竹馬とかホッピングとかローラースケートなどを、誰かが買ったものをみんなで順番にやったものだ。

とにかく子供があふれていた。人が、本当の意味での「隣人」が溢れていた。
そこの団地にいる限り、誰でも気楽に話し掛ける事ができた。
悪い事をすれば誰にでも叱られた。集会場で時々葬式が行なわれたが、いつもどこかで見た事ある人だった。友達の双子の弟の片方だった事もあった。
とにかく、みんなでみんなと関わり合う事を楽しく思っていた。知っている人ばっかりなので、どんな事もできた。
人に包まれている安心感があった。
きっとあの団地で生活していた友達に、今の子供のような病んだ心を持つ人間は一人もいなかっただろう。

それだけに雨が降ると怖かった。
誰も遊んでいない、水溜りだらけのグラウンド。
濡れたアスファルト。壁をつたって流れる雨水。ベランダの手すりを打つ雫の音。
傘を打つ雨の音。笹薮のざわめき。

雨の日はみんな家の中で遊んでいた。
「迷惑になるから」と、あまり人の家で遊ばないように躾られた私は、雨が降るたびに憂鬱だった。
自分で電話をかける事を許されていなかった私は、よく傘をさして長靴を履いて友達の家を回ったものである。
誰か遊んでくれる人を探していたのだ。

が、決まって雨の日は誰も遊んでくれなかった。少なくとも同じ棟に住んでいる幼馴染以外は雨の日に一緒に遊んでくれた記憶がない。
団地の階段を上り下りしながら、人気のない団地内をさまよい歩いていた。

古ぼけたコンクリートは雨に濡れて空と同じ重い灰色をしていた。
一人で歩く足音と団地の外側を走る車の音だけが雨の雑音と共に聞こえてくる。
普段は木登りをしたり六ムシの陣地になったりしている公園の木まで、何だかお化けか妖怪のようにうなだれている。
全てが息を潜めて、襲いかかるタイミングをうかがっているような気がした。
灰色のコンクリートの向こう側にはそれぞれの人のそれぞれの生活が確かにあるのだが、雨の日はそれが全てその中で息を潜めているように感じられた。
人気のない雨音の中で一人の自分がどんなにつまらないものかを幼心に思い知らされた。
当時はそこまで考えられなかったのだろうが、自分は一人では生きていけないのだと言う事を雨は思い出させてくれる為のものだったのかもしれない。

今は団地も引越し、実家も出てアパート暮らしをしているが、雨が降る度にあの団地の風景を思い出す。
思えば自分は「一人にならないために」生きているのかもしれない。

やっぱり私の「ホームグラウンド」は真夏のあのグラウンドなのだ。
梅雨は私にとって辛い季節である。