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毒入り-2000年6月8日の変更点

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!!!「言いたい事」社会論

言いたい事が言えないのは非常にストレスが溜まる。

自分の中で、これは人格の根幹に関わるストレスだと感じている。
人間は社会的な生き物だから、常に周りと関わりながら生きていかねばならない。
風呂に入る順番然り、夕飯のおかず然り、カラオケで歌う順番然り……はっきり言って「人間の全ての行ないは『言う事』から始まっていると言っても過言ではないだろう。
(「不言実行」という諺があるが、それは理想論ではあるが精神論過ぎるので却下。)

私は非常に遠慮深い人間なので他人の意見を非常に寛容に「聞いている」つもりであるが、その代わり「私の言ってる事も是が非でも聞かせてやる!」と闘争本能あふれる人間でもある。何も「人の言う事は聞かない」と言ってるのではない。「聞いてやるけど、従うかは私の判断次第」という事である。
平たく言えば「かかってきなさい!」という事である。

こんな文章書いていると「Tsubasaは頑固そうな人間だから何を言っても無駄だろう」とか、「頭硬そうだな」とか良く言われるが、実はそうでもない。

実は、結構軟派な人間なのである。

自分の意見はしっかり持っているのだが、感銘を受けるような発言を聞いたり、本当にそっちの方が良いなと思ったらあっという間に宗旨換えしてしまう。
周りの人間はコロコロ変わる私の態度に目を白黒させるが、そんな事はお構い無しなのだ。

「変化は進歩である」

人間はなかなか無駄には生きられないようにできているのだ。


しかし、こんな私だからこそ許せないものがある。
「言わない」人間である。

別に無口な人間や口下手な人間をなじる気はこれっぽっちもない。わかりやすく言えば「自分の主張をしない人間」である。
こればかりは如何ともしがたい。

私が一方的に主張していたらきっと彼等は面白くないだろう。相手が面白くない事をどうして私が楽しむ事ができるのだ?
「自分が我慢すれば良いのだ」とネガティブに信じ込んでいる人間ども、お前等なんて嫌いだ!!悔しかったらなんか言ってみろ!

また、主張しない人間にも2種類ある。
「主張したい事柄が存在しない人間」と「主張したいけど主張するだけの気合のない人間」である。

「主張したい事柄が存在しない人間」よ、「無主張」は社会性の否定だぞ。お前等は何の為に生きてるんだ?

”社会性を放棄したいのならすぐに首くくって死になさい。
たとえ死んでも君の「お通夜」「葬式」「納骨」「49日」「お盆」「供養祭」と、三代後までいじくりまわされるぞ。
「死後の扱い」なんて人間の最も社会的な行為だからね。死んだ後も社会性の中から抜け出せないぞ。フフフフ。
「死んでしまえ」というのが穏やかでなければ無人島に行くという手段もあるが、その為には霞を食って生きていられないとキビシイと思うよ。
「俗人」の身分じゃなかなか到達できない境地だと思うよ。
自然の摂理と戦うぐらいだったら人間と戦った方が楽じゃないの?”

……ちょっと冗談が過ぎた。これはかつて私が大学の頃に恋に破れて自棄になっていた友人に向かって吐いた論旨である。これでも一応社会学部に在籍していたからね(笑)

彼は今も元気だろうか?霞は食えるようになったか?(笑)

真面目に書くと、人間というのは社会的な動物である。「社会的」というのは「受け入れ、受け入れさせる」関係である。個体としての能力を補う為に相互に依存しあって生存していく仕組みである。もし、片方が全く自分から「受け入れてもらおう」という意思がなかったら「社会性」も単なるおせっかいになってしまうばかりでなく、「受け入れたい」という相手の社会的欲求までも踏みにじる事になる。
相手を傷つけておいて自分だけ助かりたいのか?共食いって言うんだぞ、それは。

ただ、勘違いしないで欲しいのは、「受け入れさせる義務」はあっても「受け入れる義務」というのは存在しないのだ。
そこを間違えるとわけのわからない被害妄想を自分の中に抱え込む結果になってしまう。で、自己完結してしまう。
「自己完結」って一見すばらしいんだけど、少しでもネガティブな要素が混じっているとどうしようもない「単なる頑固ジジイ」に陥ってしまう。醜いよね。

さらに「主張したいけど主張するだけの気合のない人間」について言及すると、じゃあその「主張したい欲求」はどこに行ってしまうのだ?確かに過去の芸術家や発明家はある程度欲求を自ら制限する事によって、それを糧にして大事を成し遂げた人もいるが、でもそれって社会的には「変人」なんだよ。
最も、彼等は「変人」であっても結果において人類への貢献をしてくれたわけだからそれはそれで「結果オーライ」であるが、実はその時リアルタイムで接していた人間にとってはエラク不愉快な存在だったに違いないのだ。

かの発明王エジソンだって、少年時代は「質問トーマス」と呼ばれていたほどに何でもしつこく質問してくるガキだったそうだ。機関車の操車場に入りこんだり、火薬を調合してみたり、できるあてもない電球の素材に2年もの間没頭したり……。最も彼の場合はポジティブな「変人」だったから上記の例には当てはまらないだろう(爆)

恐らく「欲求抑制型」の人間は文学系の偉人に多いと思うのだが、文学に明るくないので良くわからない。(すまん!)

わけのわからない脱線が多いが、つまりはこういう事だ。(今日はこのまとめ方が多いな)

「人間社会は共存であると同時に、個体としての人間同士の意思の戦いの場でもある。戦いの中でお互いに『人と理解しあう』という修行をしているのだ。
でも、言いたい事言わないヤツは自分の意思を曲げる事を拒否してる上に、相手に無条件降伏を迫っているのだ。
しかも解決できない遺恨も発生することになる。
しかし、そうでない「正常な」人間は自分たちと同じ社会にそいつも引き込んでしまう。それが「正常な社会」だからだ。
で、結局はその遺恨を背負わされ、自分だけが一方的に損をしたような気になるから腹が立つのだ!」
私はこう言いたいのだ。ちょっと不充分だが。

私のように直球しか投げられない人間も問題と言えば問題なのだろうが、とりあえずピッチャーマウンドに逃げずに立っているから我慢してやってくれ。
打たれたって死ぬわけじゃなし。とりあえずピッチャーは投げないとはじまらない。

で、しっかり一度二度ホームランでも浴びてきなさい。
きっと人生がもうちょっと面白くなってくるでしょう。
多分。