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駄文-2002年12月

!2002年12月の駄文


2002年12月23日……MDコンポ


買っちまっただよ!SonyのCMT-M333NT(これが青?紺か黒だと思うが……。)
今まで「コンポ」と呼べるものが嫁さんの持ってきたCDラジカセだけで、MDのコレクションを聞くことができなかったのでありがたいことこの上なし!
MDウォークマンでしか聞けなかったし、録音する時もパソコン経由で光端子出力させてMDウォークマンに落とすしかできなかったので、ダイレクトでCD→MDダビングができるだけでも感謝です。
(それに、パソコンからデジタルダビングさせると曲ごとにトラックが切られなくてヲークマン上で頭だしができなかったのだ!今まではダビング後に手動でトラックの切れ目を入れてやっていた(T_T))

おまけにまだInstallしていないがMDラベルとかも印刷できるらしい!(もちろんパソコンからだが)
私は字がキタナイし、よく間違えるのできっと便利だと思う。
あんまり凝ったラベルを作る気はなく、何曲目に何が入っているかわかればいいのだが。

早速桑田佳祐の「TOP OF THE POPS 1・2」をMDにダビング!!
これで会社に行くときにも聞けるのだ!!
カラオケネタの為に練習だ!!(←バカ)




2002年12月22日……世間では三連休


三連休直前にトラブルにつかまり、結局また徹夜をする羽目になった。
火消し稼業とはいえ毎回毎回連休前と休み明けにでかい障害が起きるので我ながらイヤになる。
もうちょっと平和な仕事がしたい今日この頃。

最近ちょっとイベントがあって思い出される事なのだが、今年(というか来年)は高校を卒業して10年になる。
ブラスバンドのSAXパートで書いていた「パートノート」(パート内でみんなで回覧して書いた日記)がご開帳になる年だったり、演劇部の人間も何かにつけて集まっては誕生会をしたり飲み会をしたりしている。
演劇部以外の友人もあんまり会ってはいないがそれぞれに結婚したり親になったりしているみたいです。
10年前に誰がこの状態を想像できたか?

B'zの曲で「人生の快楽」というのがあるが、まさにそんな感じです。

(このままトラブルがなければ)今年は2年ぶりに年越しが自宅で送れるし、別にそんなに楽しみではないが紅白も自宅で見ることが出来そうだ。
そういえば自宅で年越しをするなんて何年ぶりだろう?
実家近くの山の山頂で焚き火をしながら年越ししたり、夜中のうちに仲間に集合をかけてドライブに行き、初日の出を同じく山頂まで見に行ったり、良く良く考えると紅白なんて見たことないかも。
一人年越しの瞬間を八景島近くの公園から花火を見ながら迎えた事もある。
毎日変わり映えのしない日々だけど、少しずつ少しずつ遠くに来ているような気がする。
多分そんなもんなんだろう。

後2年で人生で3回目の「10年後」を見ることになる。見ることが出来るのか?
いっつもそれがどんなことになるのか想像がつかないが、きっとまあなるようになるんだろう。



2002年12月18日……遠いお空の


今日は一日お客さんの所で待機だったので、やることも特になく、メールをさばいて時々電話をかけて指示を出して、あとはWebサーフィンなどしておりました。
でもすぐ飽きちゃったけど。肩もこったし。(ノートパソコンだから。)

ウェブサーフィンの時に、Yahoo!とかGoogleとかで自分の名前や同僚の名前を検索キーワードにして検索してみると以外に同姓同名がいるものだ。
昔もどこかで書いたかもしれないが、学会で論文を発表しているとか、企業の役員をしているとか、小学校6年生の陸上の選考会で入賞していたりとか、結構多彩な活躍をしているようだ。
私ではないのだが……。

中には私と同じく、「本人出演」の同僚もいた。
ん〜。今はインターネットさえあれば探偵なんて雇わなくても人の身元なんて結構簡単にわかってしまうのかも。
是非暇な時は一度自分の名前で検索をかけてみてほしい。


夕飯を食べながら、チリ人のアニータの話をテレビで見た。
私は法律とか国際問題とかは良くわからんけどアニータが日本そのものを非常にナメているのは良くわかった。

「ナメてる、ナメてない」は法律とか裁判とかそういう問題じゃなくて「メンツ」の問題だ。
どんなに立派な法律や論理があってもそれがナメられてちゃ誰もそんなもの守らない。
第2、第3のアニータを日本に招かないためにも「日本人の小役人と結婚して、公金横領させて御殿を建てよう」なんていうバカ女の思惑はブッ潰しておかないと日本のハジである。
日本政府は即刻チリ政府に正式要請としてアニータの引渡しを求めろ!!今すぐだ!!
で、秋田の市役所前で3日ぐらい晒し者にした後、市中引き回しの上獄門を言い渡せ!!
日本をナメるとどうなるかを乞食根性丸出しの蛮族どもに思い知らせろ!!
(そもそも、チイ政府はアニータをハジだと思わんのか?情けない。厚顔さでは決して北朝鮮に負けないと思うぞ。)

天狗になっているアニータに1000万円ぐらいのギャラをちらつかせて偽のテレビ出演で日本に呼び寄せて拉致しろ!
絶対にヤツだったらかかる!絶対に罠にかかる!賭けてもいい。

そもそも、こんな部外者の私が怒るのではなく、秋田県民はもっと怒ってくれ!
14億だぞ、14億!
千田容疑者なんてどうでもいいから、日本ごと秋田県民全てをコケにしたアニータの首を取って恥を雪ぐのだ!!



2002年12月16日……ねむいっ!!


最近どういうわけだか眠くてしょうがない。
別にいつもより睡眠時間が少ないとかそういうことは全然ないのだが、とにかく眠い。

こういうときは難しい事は考えずにぼーっとするのが一番。



2002年12月12日……猛烈くしゃみ地獄


お客さんのところの会議に出席していたあたりから何だか鼻が止まらなくてグジュグジュ言っていたのだが、川崎で嫁さんとクリスマスツリーの飾りを見ているあたりからくしゃみが止まらなくなってきた。
とにかく何をやっていても鼻をかんでいるかくしゃみをしているかのどちらか。しかも手加減したくしゃみじゃないから疲れるの何のって。

そういえば春の花粉の季節に会社の人が何人かくしゃみでぎっくり腰になってたね。気をつけねば。

しかし、鼻が詰まっているような気がして我慢ができなくて鼻をかむのに全然鼻詰まりが取れない。
鼻水もかむとそんなに出ないのに我慢してキーを打っているとポタッと垂れて来やがる。

キィ〜〜〜〜ッ!!###

もう明日の資料なんか知らん!!
寝る!



2002年12月10日……T-SQUARE


今はそんなに聞かないのだが昔好きだったバンドに「T-SQUARE(古くはTHE SQUARE)」がある。
安藤マサヒロがリーダーをやっているフュージョンのバンドである。

基本的にはギター、ベース、ドラム、キーボード、そしてボーカルの代わりにSAXまたはウィンドシンセがリードする。
ウインドシンセというのはSAXの電子楽器版みたいなやつ。
歌があるのもあるけど、ほとんどは歌のないインスツルメントである。
「F1のテーマ」といえば大体の人が聞いたことある「TRUTH」という曲はT-SQUAREの曲である。

T-SQUAREを聞くようになったきっかけは、これも多分高校のブラバンの影響だったと思う。
パートがSAXだったということもあるが、元々電子音大好きなわけだったし、当時パソコンで打ち込み音楽とかやっていたのでボーカルがないのはコピーしやすかったのである。

T-SQUAREの曲からつれづれなるままにお気に入りを選んでみると……。

  • 「宝島」

一番に思い浮かぶのは「宝島」です。
高校3年のとき、SAX初心者から2年あまり続けてきた総決算として定期演奏会でソロを吹いた曲がこの曲です。
いまでもソロへのブリッジが聞こえてくると何だか緊張してしまいます。(笑)
録音テープとか聞くと本当にヘタッピで、若いというのは怖いもの知らずだということが良くわかります。

  • ARCADIA

TRUTHのほうが有名だけど、ARCADIAのほうがもっとTRUTHっぽいというか、個人的には知る人ぞ知る名曲だと思っています。
ハイテンポでハードロックな感じで、一気に駆け抜けていくようなパワーあふれる曲です。
おおよそ「理想郷」の題からは思いつかない冒険的な感じです。

  • When I think of you

Saxが本田雅人に代わって最初のアルバム「NEWS」のラストに入っていた曲です。
個人的には「NEWS」が一番お勧めのアルバムなんですが。
「甘く、切なく、イヤラシく」のSax吹きのモットーがいかんなく体現されている曲です。
T-SQUAREによるバージョンと、後のアルバムの初回限定でシングルで付いてきたアカペラ版とがありますが、アカペラ版は結婚式の2次会で使わせていただきました。
寒い日に外を歩きながらウォークマンでこの曲を聴くのが好きでした。

  • Magic

T-SQUAREがまだTHE SQUAREだった頃の名曲です。珍しくボーカルの入っているポップスナンバーです。
歌詞もカッコイイんだけど、「何でこれがフュージョンバンドなんだ!」と思うほどまとまった感じの曲です。
Saxの伊藤たけしが退団して本田雅人にバトンタッチするアルバム「Fairwel and Welcome」のオープニングナンバーでボーカルなしのツインサックスで毛色の違う2人のSax奏者が歌い上げるMagicははじめて聞いたときにしびれたのを覚えています。

まあ、歌詞があるわけでもない、ただ題名とその曲があるだけで後は自分で情景を自由に描けるフュージョンというジャンルにSax吹きとしての自分の憧れのようなものを重ねてT-SQUAREばかり聞いていた時代が確かにありました。
今はもっぱらプチ時代遅れ歌謡曲ばかり聴いているけど、今でもコマーシャルや番組のBGMでT-SQUAREがかかると楽しくなってしまう。



2002年12月7日……B'zを聞き始めたときの事


何の脈略もないけど、昔々B'zの音楽との初めての出会いの事を思い出したので書いてみようか。

確か高校1年の夏の終わりごろだったと思うのだが、当時私の所属していたブラスバンドでは後期の文化祭ステージ発表に向けて練習をしていた。
メインの練習がある程度目処が立ったところでアンコールの曲を何にするかの話し合いが行われる事になったのだが、メインのボリュームもそれなりにあり、かつ文化祭ステージは夏の定期演奏会の後時間がない為簡単な曲が選ばれる風潮があった。
吹奏楽の中では「M8」と呼ばれる「ミュージック8」という歌謡曲をブラスバンド向けに編曲したお手軽な楽譜セットが市販されていた。
M8の曲は非常にシンプルで、多分中学生や小学生にも吹けるように作ってあった(であろう)為、練習にそんなに手間隙がかからず、かつ新しい歌謡曲などがかなり頻繁にすぐ出てくる為アンコールにはもってこいだった。
ただ、そのかわりにヒジョーに編曲がダサイのが難点で、そのうえあからさまに和音やメロディーが間違っている事があるというオマケつきだった。
つまり、「簡単だけどメインのおかずにはならない」ものだった。

で、その時の文化祭ステージのアンコールにはピンクサファイアという女性バンドの「P.S. I LOVE YOU」という曲が選ばれた。
今思えばその曲一発で消えてしまったのだと思うのだが、当時はそこそこ売れていたようだ。
その頃はジャズばかり聞いていたので一般の歌謡曲などは全然わからなかったのだが……。

その当時、まだ吹奏楽はおろか音楽さえ始めたばっかりだったの私は、当然「楽譜を読む」なんていう高等技術はできず、音符の上に「ド、レ、ミ」とルビを振り、リズムは他の人のを聞きながら理解するというド素人だった。
(結局今でもそのままなのだが。)
よって、自分が演奏することになる曲のデモテープを入手し、楽譜片手に自分のパートがわかるまで100回ぐらい聞く必要があったのだ。
今回は運良く「P.S. I LOVE YOU」を持っている子が同じパートにいたので貸してもらうことにした。

で、その時借りたテープというのが、あんまり最後まで聞かなかった(その曲しか聴かなかった)のだが、どうも何か雑用テープのようなものの後ろに「P.S. I LOVE YOU」を入れたものだったらしく、「P.S. I LOVE YOU」の後の曲(シングルのセカンドトラックかな?)が途中でテープが終わって切れていた。
音質もそんなに良かったわけではないのだが、今のようにデジタルな音源といえばCDしかなかった時代でテープ全盛だったので仕方あるまい。
頭出しも「まき戻しボタン」を再生中に押すと1曲分戻るような仕掛けで、それが作動される為には曲と曲の間に5秒程度の空白が必要だった。

で、私はその借りたテープをダビングし、何度も聞いて「P.S. I LOVE YOU」を「覚えた」。(楽譜を読んだというには余りにも……なので。)
元々M8だったのでそんなに凝った事はしていなかったし、パートがアルトSAXだったので結構簡単に音が拾えたのである。

そんなある日、何気なくそのテープを聞いていて「P.S. I LOVE YOU」が終わったので巻き戻してもう一回聞こうとしたところ、戻しすぎて「P.S. I LOVE YOU」の前の前の曲に頭出しされてしまった。
あんまり気にせず、「ちょっと飽きたから他の曲も聞いてみるか」ぐらいで聞いてみた。

〜さよなら言われた後で もう振り向かない
 別れにすがって生きる 女にはなれない〜

そう、B'zのシングルカットされた「Easy come Easy go」だったのだ。
当時B'zが今ほどの爆発的な人気があるかといえば決してそうではなかっただろうし、「Easy come Easy go」だってそんなに流行った曲かどうかわからない。第一その頃でさえすでにその曲は流行が終わった曲だったと思う。
とにかくジャズしか聞いていなかった私は流行とかすたりとかそんな事はどうでも良かった。
中学時代はゲーム音楽とYMOみたいな電子音しか聞いていなかった私にとって、B'zの「Easy come Easy go」こそが始めて自分から「いいな」と思って聞いた歌謡曲だったかもしれない。

中学校時代の終わりに、今思えば取るに足らないような事でメゲていて、高校のブラバンでも経験者(=中学からブラバンをやっていた人たち)に囲まれて劣等感にさいなまされていた時、何かその「無理をするなよ。今はそのままでいいじゃないか。」というような悲しみを含んだメロディーは自分のその時の心情に良くあっていたのだと思う。

それから2年になって演劇部も兼部するようになった。
演劇部はどういうわけだかB'z大好きがいっぱいいて、カセットデッキなどもあったので部室にはよくB'zのテープがかかっていた。
その中から「Easy come Easy go」の入っているアルバム「Risky」をかりて、ダビングして、学校の行き帰りに聞いていた。
ちょっとおしゃれで、ロックで、でも女の子には弱いような作風は今思えばダサダサだった自分にはえらく新鮮で、きっとそんなロックな態度はその頃に形成されたんだと思う。

なんでそんなことを今思い出したのか、それは良くわからない。
ただ、「思い出の曲」っていうのはそんな風に時々思い出されて聞かれるものなんじゃないかという気がする。



2002年12月5日……変なおっさん


会社の帰りに電車に乗っていた。
結構混んでいる電車で、つり革につかまろうとしても何か変な格好になってしまう。
コートを着ていたのでカバンの肩ヒモのあたりとむずむずして何となくモゾモゾしたら横にいたおっさんをちょっと押してしまったらしい。
いきなりおっさん、「おい、なにすんだよお!混んでる電車だからって押すことたあないだろ。ええ?」と、すごんできた。

別段そんなにおっかない感じではない。多分60過ぎのもうちょっとで定年な感じだ。と、言うより、第一印象で判断した感じは「どこかの省庁から天下りしてきた元ヘナチョコ役人」という感じだ。
市役所か区役所で課長ぐらいで定年になって、公共事業の関連企業の窓際部長にでもなったような貧相な感じだ。身長は多分155センチぐらいで、やせていて、ハゲだった。

私はあっけにとられた。
何でこの人はちょっと体が触れたぐらいでこんなに怒るんだろう??
ひょっとしてキチガイ??
でも一応コートをちゃんと着ているしおかしい感じもない。
エライ剣幕でにらんでいる。
ちょっと肌寒いものを感じた。

はっきり言って、別にこんなヘナチョコジジイなんてホームに引きずり出してボコボコにする事も容易だろう。
でもそのジジイの目つきがおかしいのだ。明らかに常人の精神を持っている目じゃない。
こういうのは「絶対に自分は正常だ」と思っていながら実は狂っている人間だ。直感的にそう思った。

「ちょっと肩のヒモをずらしたんです。すいません。」
後から考えるといかにも不満げに態度もふてぶてしく、しかし声を荒げることなく私はジジイに言った。
多分同じ口調で今の言葉を自分に言ったらきっとものすごく腹が立つだろう。

でもキチガイジジイはいきなり満面の笑みを浮かべて、
「ああそうか。そうかそうか。どうもどうも。」と笑顔で応えるではないか!!
決して作り笑いではなく、まるで私がジジイに何かとてもいいニュースを伝えたかのようだった。
本当に何なんだ。このジジイは。

で、ジジイは次の駅で降りていった。
「じゃ、どうも。」と会釈をして、まるで同じ会社の同僚のような挨拶をされてしまった。
おお怖!
絶対にあのジジイはキチガイだと思う。
キチガイというのは差別語で人に対して使うのは不適当だというのは重々承知しているが、あれは絶対に「キチガイ」だ。

いいのか?あんなのを野放しにしておいて。

世の中には本当に普通の顔をして頭の中身がどうかなっている人がいるんだという事を今日改めて思い知らされた。
明日からは電車に乗る時気をつけよう。本当に。

最終更新日時:最終更新時間:2005年07月25日 13時00分38秒
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