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駄文-2006年09月

2006年09月の駄文


2006年09月24日……鬼軍曹


週末にネット徘徊していたら久々に映画『フルメタル・ジャケット』のハートマン軍曹語録を見つけた。

WikiPedia「フルメタル・ジャケット」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88

「軍曹語録」
http://www.hcn.zaq.ne.jp/ganso/neta/sergeant01.htm

いやぁ…過激だ。
監督がスタンリー・キューブリックという時点で異次元だが、ハートマン軍曹の機関銃ばりの罵詈雑言は圧巻だ。
私も確かビデオとテレビで1回2回見た程度だが、それでも「鬼軍曹」の印象は強烈に脳裏に焼きついている。

海兵隊訓練生を「メス豚(ladies)」と呼び、何かにつけて「F●ck」「Sh●t」を連発しながらも、ラップミュージシャン顔負けの豊かな表現力とユーモアで新兵達を恐怖のどん底に叩き込んでいく。
でもなぜか嫌悪感を感じない。むしろ妙なカタルシスさえ感じる。

で、「ハートマン軍曹」の勇士は演じたリー・アーメイ氏の公式ホームページ(?)の表紙で見ることができる。
http://www.rleeermey.com/ ←音が出ます、注意。

戦争の是非、軍隊の是非、ベトナム戦争の是非はおいて置いて、でも私が注目したのはこの言葉だ。

「貴様らは厳しい俺を嫌う 
  だが憎めば、それだけ学ぶ 
  俺は厳しいが公平だ 人種差別は許さん 
  黒豚、ユダ豚、イタ豚を、俺は見下さん 
  すべて――― 
        . . 
  平等に価値がない!」

いやぁ…(汗)
すばらしい。この言葉だけで「教育」の真理を物語ってる。

確かに「鬼軍曹」がいなければ「新兵」は育たないのだ。

私が中学校の頃はそういう先生がいた。
大体において体育の教師なのだが、「バカ野郎」「アホ」「ガキ」は序の口。
それこそ悪い事をすれば吹っ飛ぶほど殴られる。
廊下を歩いているだけで生徒がよける。
不良もいた、ちょいワルもいた。でも、その先生にだけはみんなちゃんと「怒られていた」。

「怒る」という行為は非常に難しい。
単に怒っている側の「感情の爆発」だけでは怒られている側には何も伝わらない。
怒っている側の日常からの一貫性と、その背後にある愛情が相手に認められていてこそ意味がある。
言っていることが論理的に正しいだけでも、単にウデっぷしが強いだけでもダメなのだ。
野暮ったい言い方だがそこに「愛」がなくてはできない行為なのだ。

「鬼軍曹」は新兵の訓練を終えたセレモニーの席でこう送辞を述べる。

「本日をもって貴様らはウジ虫を卒業する
  本日から貴様らは海兵隊員である
  兄弟の絆に結ばれる
  貴様らのくたばるその日まで
  どこにいようと海兵隊員は貴様らの兄弟だ
  多くはベトナムへ向かう
  ある者は二度と戻らない
  だが肝に銘じておけ
  海兵は死ぬ
  死ぬために我々は存在する
  だが海兵は永遠である
  つまり―――貴様らも永遠である!」

久々にもう一回ちゃんと「フルメタル・ジャケット」が見てみたくなった。

私は「鬼軍曹」たれるのだろうか?
生易しい私情に流されず、後輩や相手に愛情を持って厳しくできるのだろうか?

  • フルメタル・ジャケットは、後半分の戦闘シーンも実はかなりリアルできっつい描写っすね。ある意味、ブラック・ホーク・ダウンに通じるものがあるかも。 - 壱号 (2006年09月27日 20時48分39秒)
  • ブラック・ホーク・ダウンまだ見てないっす。見たい〜(T_T) - Tsubasa- (2006年09月28日 09時07分49秒)

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2006年09月21日……YouTubeとトラックバック


今日、YouTube関連のネタ漁りの時に偶然にもT-SQUAREのライブのクリップを見かけた。
そもそも、テレビなどでたまにチラッと映ることはあってもライブの放送なんてないし、ましてライブに行った事などかったので非常に面白かったです。
いや、著作権がとかどーのこうのってのは良くわかるのですが、見てしまったものはしょうがない。

T-SQUAREでYouTube内を検索したら1万件以上のHitがありました。
意外とファンは根強いらしい。(私含ム。)

それと、折角快適なサーバに引っ越したので、以前トラックバックSPAMが多すぎたので中断しているFreeStyle Wikiのトラックバック機能ですが、再開したいなぁ〜とは思っているのですが、トラバSPAMをどうやって弾いたらいいのかイマイチ良くわからない。
いや、プログラミング的に弾く方法はわかるのですが、「弾いてどうすればいいのか」がイマイチ。

特定文言が入っていたら弾くのか、それともトラバ先を検索しないとダメなのか。
うーん。
掲示板ではSPAM書き込み弾きがなかなかうまく動作しているので是非コッチも何とかしたいですな。

それから、箱庭で騙りが出ている。
箱庭自体が非常に古いCGIなのでSessionの概念がなく、騙り犯人を追うのが難しい。
perlのCGIでSession管理をするための「CGI::Session」ってモジュールがあるのを発見したけど、これって使えないかな?
多分クッキー回りもコッチで統一的に操作するようにしないとダメっぽいけど、そんなにムチャクチャ改造が難しいというわけでもなさそうなので時間が空いたら導入してみようと思っております。

でも、そこまでやるならやっぱり全部1から作り直した方が早いよなぁ…(汗)

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2006年09月04日……旧マスコミ人の淘汰


8/28に鳥越俊太郎氏が「Oh my news」なるサイトを立ち上げた。(正確にはその前から「準備ブログ」はあったので、本番稼動したというほうが適切だが。)
http://www.ohmynews.co.jp/

個人的に、鳥越俊太郎・筑紫哲也といった「オピニオンリーダー」「ジャーナリスト」「ニュースキャスター」と言われる人種が生理的に嫌いであった。
「生理的に」というのは、「何となくイケスカない」「胡散臭い」と感じていたという感じで、自分の中に論理的な理由付けがうまくできないまま「何となくキライ」だったという意味だ。
別に彼らを良く知るわけではないが、ニュースや新聞やメディアで物知り顔で自己の主張をあたかも「これが正しい世論だ」といわんばかりの厚顔さで語られると心底腹が立ち、不快に思ったのでよくチャンネルを変えたものである。
「お前はそんなにエライのか?」というのが正直な感想である。

で、Oh my newsだが、韓国発祥の「市民記者によるニュースプラットフォーム」という触れ込みで、一般人から「市民記者」を募ってニュースを発信するというものらしい。
批判半分でここ1週間ばかり時々見ていたが誠に滑稽である。

まず「ニュースプラットフォーム」と銘打ってる割には新聞の社説的な「私はこう思う」記事ばかりが載っている。
個人の思った事はニュースではない。単なる批評であり、(本来の意味での)ジャーナリストが事実に基づいた調査・取材を経て集めた「事実」こそが「ニュース」に値するものなのではないだろうか。

ジャーナリストがエライのは論説を述べるからではない。自らの足と目と耳でかき集めた「情報量」が一般素人とは圧倒的に異なるからであり、市井の者者がテレビや新聞だけでは到底知りえることのできない深部にまで調査を行う能力と時間と資金を持っているからである。聞きかじった事に持論を付け足すのは「ニュース」じゃない。

もしこれらの「私的論説」が「ニュース」だというのであればまさしく鳥越氏は今までそうやって自らのジャーナリスト・編集者としてのキャリアを積み重ねてきたという事の査証にはならないのだろうか。

Oh my newsの市民記者からの記事の中には地域のスポーツ大会の「取材」やゴミ問題の「取材」、「震災時を想定しての会社からの徒歩帰宅レポート」などの本当の意味での「ジャーナル」もあったが、大半は「やれ靖国問題だ」「やれ、小泉批判だ」「やれ、社会のあり方だ」と隠居オヤジのつまらない説教のような浮世離れした小言で埋まっている。その論拠もソースも貧弱すぎてお話にならない。
冗談浮きでブログや2chに書いたら「炎上する」ような戯言ばかりである。
まあ、大将が「私論の戯言」で地位を築いてきた人物だから仕方がないのかもしれない。

その大将、9/2に「ブログシンポジウム」なるものを開いて有名ブロガーとの懇談会を行ったようだが、その報告記事も誠に滑稽である。
ブロガーがああ言えば鳥越氏がこういう。鳥越氏が何か言えば集中砲火を浴び、「まあ、そういうことも意見の一つだね。」みたいな逃げ方をする。
Oh my news編集者、いわば身内が書いていてもあの狼狽っぷりというか腰の引け具合というか、あきれるばかりである。

詳しくはhttp://www.ohmynews.co.jp/HotIssue.aspx?news_id=000000000617を読んでいただきたいが、シンポジウムというよりは公開処刑である。
しかも処刑される側が主催者であるのが尚更同情を禁じえない。

恐らくは「シンポジウム」と看板を掲げたもののブロガーの意見などハナから聞く気はなく、自らの行いに省みる事もない。
「私はブロガー達を集めてシンポジウムを開いた。」「彼らとの話し合いでも『負けなかった』」「だから私の企画は正しかったのだ」と評判を集めたいのがミエミエな内容ではないだろうか。

しかも、鳥越氏、そのシンポジウムの中で卑しくもジャーナリストが言ってはならない事を言っている。

曰く、

「市民記者にはオピニオンも書いてほしいが私の本音では、自分の経験、体験を書いてほしい。41年間の取材を通して、『これが真実だ』と思ったことは一度もない。真実なんて本当は分からない。でも、体験することはある。例が適当か分からないが、たとえば市民記者が病院で点滴がうまく入らず、えらいことになったと。それを記事にして、さらに『私もこういうことがあった』と続けば、点滴問題、日本の医療がいまどうなっているんだということを検証できる。そういう経験を書いてもらい、常勤記者もカバーし、経験から始まったことで社会がちょっとでもいい方向に変わればと思っている」

……ポカーンである。
「41年間の取材を通して、『これが真実だ』と思ったことは一度もない。真実なんて本当は分からない。」
こんな事を言ってしまっていいのだろうか?
「ジャーナリズム」とは何なのか?取材とは何なのか?
「体験」なんて大上段な態度で「真実」なんて見えるわけがないだろうし、「端っこかじって体面保って、後は自論で補完する」とでも言うのだろうか?
「体験至上主義」なんて言い出したらジャーナリズムは終わりである。
なぜなら、多くの一般人が知りたくても知れない、調べようとしても調べられない事を調べ広く公表するのがジャーナリズムではないのか?
なのにそのジャーナリズムが「体験する事はある。」なんて、敗北宣言してしまって恥ずかしくないのか?
じゃあ、あなたが今語っていることは何なのかと。

これは「自称・ジャーナリズム」を騙る提灯に過ぎない。むしろ「自論・ジャーナリズム」と呼ぶにふさわしい。
だから「自論、論説、オピニオンリーダー」などという情報世界では3次産業的な鼻につく評価しか得られない。
多くの人々は「マスコミ」というものを「情報の1次産業」だと思い込んでいる。そして自らも莫大な資本力と行動組織力をかざして、様々な報道の権利を主張してその事を誇示する。
「産地直送の野菜」は獲れたままの生の野菜が消費者に届くから「産地直送」の意味があるのであって、「自論・ジャーナリスト」の行いは産地で取れたトマトをトマトケチャップにして「産地直送」の銘をつけて売るようなものである。
消費者の「生のトマトに砂糖をかけて食べてみたかった」とか「ケチャップの塩気をもう少し抑えて欲しい」という意見は上がったとしても、もう既に「トマトケチャップ」に加工されてしまったトマト、本来産地直送であるべき生のトマトは既に加工されてしまった後なのである。
加工されてしまったものを受け手がその素材の鮮度や品質を直接吟味する事はできない。消費者はそのトマトケチャップの原料が本当に産地直送なのだと信じるしかない。
なぜなら今まではそのトマトの産地に行けるのはジャーナリストだけであり、大衆にはその検証の為の手段がなかったからである。

彼ら「自論・ジャーナリスト」の行っている「ジャーナリズム」とはまさにそういう消費者騙しの殿様商売だったのである。

幸いにして今は「ネット」というものがある。
秘密裏にトマトを収穫して加工場に送っても、ネットの中の誰かはその収穫前のトマトの状態や産地を見ていて、自論ジャーナリストの言う事に「待った」をかける事ができる。少なくとも事実情報を伴った反論をすることができる。
ネット以前の時代の「クチコミ」や「風評」には所詮「風の噂」程度の信憑性しかなかったから「マスコミ様、ジャーナリスト様、コメンテーター様」で通ったかもしれないが、今やその風の噂はネットを伝って「ソース」を伴って一般大衆に「直接」届いてしまう。

もちろんネット上の「どこの誰が書いたかわからない情報」にはそれなりの信憑性しかないが、ネット慣れした人はその風評に付属する「補完資料」の真贋を見極めようとする習慣がある。
ネットは匿名だからなんていう説は実は既に過去のものであり、「匿名巨大掲示板」と言われる2chですら、悪戯で殺人予告を書いてもちゃんと検挙される。
ネットのハードウェア・ソフトウェアの発展だけではなくそこに「住んでいる」人々の民度が確実に向上して来ているのである。

ネットワークが完全に実世界とは別物であると未だに信じている人は最早完全に時代遅れの人であり、裏を返せば「ネットは匿名だから無責任」という誤った論が彼らの脳内で成立してしまうのである。そして自分の中で思想的な「階級」を作り上げ、益々自らを実世界の「世論」から乖離させてしまう。

コアなネットユーザは実世界での人格や地位と確実にリンクを持った「ネット上のペルソナ」を既に持っている。
そういう意味では匿名と思われがちなネット世界にも確実にパーソナリティーがあり、様々な思想が飛び交い、そして大衆に没することなく「自分」を何かしらの方法で主張しているのである。
誰も守ってくれない代わりに、正しいと思う事には声を大にして賛成を唱える。

まあ、そういったネットワークを支える巨大企業の一翼であるソフトバンクがOh my newsの最大のスポンサーであるというのは何とも皮肉な話であるが、Oh my newsは近く方針転換するか、さもなくば一部の人々を除いてそっぽを向かれることになるだろう。
既に2chのネット慣れした住人は「Oh my news」で「釣り記事」なるものを投稿し、いかに採用されるかを競っているような状態である。
いわば「オモチャにされている」のである。
鳥越氏はOh my newsの準備期間に方々で「2chとの差別化」「実名報道の優位性」を強弁していただけに果たして今はどのような心境なのだろう。

何を信ずるか、何を見るかはネットにいる限りは、そして現状の日本国内法の範疇内である限りは真に「自由」であり、その自由を成立させるだけの「土壌」がそこには既にできつつある。
その風を掴めずに旧来の「マスコミ」のスタンスで世論を牛耳ろうとネット参入すると自らの首を絞める事態になるということを早く「旧マスコミ人」達は自覚するべきである。

  • 私自身はどちらかといえばダマサレルほうが多い人間なのですが、筑紫NEWS23も昔は感心して見ていたことがあります。今考えるとポカーンですが。2CHで「筑紫語録」を探すと面白いですよ。マスコミは本来、世論のエリートであるはずなんですけどね。なぜかと言えば、わけのわからない無知な私のような大衆をあるべき姿の日本の国民に先導する存在なはずですから。そう期待したいところです。 - 壱号 (2006年09月12日 15時27分18秒)

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最終更新日時:最終更新時間:2006年09月28日 09時07分49秒
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