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毒入り-2000年6月16日

ブラックのススメ


兎角私はブラックな表現が多い。
きっとアメリカの映画を、しかもそんなに上品じゃない映画を好きなもんだから伝染ってしまったんだろう。

でもよくよく考えてみると「ブラックな表現」って日本語では「皮肉」って事であんまり歓迎されないんだよね。

「そんなアホな悩みは犬に食わしとけ」って「ブラック」として捕らえれば笑い飛ばせるんだけど、「皮肉」として捕らえられちゃうと「こいつは俺の悩みをそんな程度に思ってるのか?」って角が立っちゃう。

そもそも、「皮肉」と「ブラック」の境目は「善意」にあると思うんだよ。

「皮肉」っていうのは相手に対してマイナスな気持ちがあるからじゃないのかな?
不信感と言うか距離感というか、「皮肉」を言う相手自体と距離を置いて、わざと間違った認識を持っているフリをする。
「皮肉」が言いたい事は「あなたと私は違うのよ!(私のほうがいいのよ)」という事じゃないかな?
含みの含みである「私のほうが上」という所が、「皮肉」の表現とあいまって更に人を不快にするんじゃないかな。

「ブラック」って「ブラックユーモア」って言うじゃない?
「ユーモア」って事はそこに「人間愛」がある。
「皮肉」の時と同じやり方で表すとすると、「ブラック」には相手に対してプラスな気持ちがあるんじゃないのかな?
信頼感と親近感があって、「ブラック」を言う相手と自分を同じ高さにおいて、笑い飛ばしたい事を二人から遠ざけてしまう働きがあるんじゃないのかな?
「俺もお前もバカなんだから、そんなバカな事は置いておこうよ」っていう肩を叩くような感じなんじゃないかな。

本当に悲しい事とかどうしようもない事って、正面から「お気の毒様」とか「かわいそう」とか「どうにかなるよ」って言われても所詮は「他人事」の領域から踏み込んでないわけじゃない?
相手の心の中に(良きにせよ悪きにせよ^^;)踏み込んで、相手を飲みこんだ上で一緒になって笑い飛ばしてしまえる。「ブラック」っていうのはそういう魅力があると思う。

逆に相手に対して信頼感がないと「ブラック」な事って言いづらい。
「善意」っていうのはいくら持っていても相手に届かなかったら「善意」じゃない。だから自分で相手の心に持ちこむしかない。
その方法の一つとして「体当たり」的なものが「ブラック」だと思うんだけど、自分が飛び込んでいって肩透かしを食うと相手も自分も傷つくわけじゃない?
「ブラック」って言うのは漫才の「ハリセン」と同じだから、叩かれた事で相手が笑ってくれないと単なる暴力になってしまう。
中途半端な踏み込みじゃ相手に届かないし、踏み込みすぎると「シャレ」にならないし。
難しいね。その辺の力加減が。

でもうまく「ブラック」なことが言えて相手に「馬鹿だなこいつ」って苦笑されたときの一体感というか快感が忘れられないからついつい今日も「ブラック」してしまうんだけどね。

苦労のない人生が楽しくないように、「ブラック」のない人間関係もつまらないと思うよ。
多分。

最終更新日時:最終更新時間:2005年08月02日 11時42分44秒
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