前の日 / トップへ戻る / 掲示板へ 

 


2001年1月2日11曜日(JST) [出張22日目:日本]


「15000マイルの果てに」

機内では恒例の機内食の時間になる。
シカゴ空港で走ったせいで気持ちが悪く、後にしてもらう。結構融通が利く。
目を閉じると余計にぐらぐらするのでシートを倒して映画「インディペンデンス・デイ」を見る。
映画見放題なのはいいね。時間はいやでもたっぷりあるし。
しかし気持ちが悪い。幸いにして飛行機は全然揺れないが。

よく飛行機酔いをする人がいるらしいが、はっきり言って天候のいい時の飛行機は全然揺れない。
首都高を走る車のほうがよっぽど揺れる。

行きと違って、今度はなかなか消灯しない。
きっと時差ぼけ調整の為なのだろう。インディペンデンス・デイを見終わった後もまだ気持ちが悪いので続けて邦画「ホワイト・アウト」を見る。
何だか暗いシーンが多くて液晶画面で見るのはツライ。

ホワイトアウトを見終わる頃になってやっと気持ち悪いのが治ってきた。途端にお腹が減って来たのでさっきリザーブしておいた機内食を出してもらって食べる。
懐石料理だ。
たいしたものはなかったが、3週間ぶりに食べる白飯に箸をつけたときはおもわず涙がこぼれそうになった。
「日本に帰れるんだ」とこの時ほど思った事はない。やっぱり日本人は白飯だよ。
普段はなんとも思わなくても、やっぱり私は日本人なのだ。
はっきり言って日本で食べたらサトウのごはんよりもまずい白飯だったが、その時は格別だった。

ご飯を食べ終わると気が抜けたのか眠気が襲ってきた。
日本時間ではまだ夜が明け始めたばかりだ。ご飯を出してもらうちょっと前にやっと消灯になって、窓が閉められた。
でもまだ外は明るい。飛行機は太陽を背中に背負って西へと進む。
ふとした拍子に飛行機に乗っている事を忘れてしまいそうだ。
機長のアナウンスでは出発から4時間ほどで一度気流が悪くなるとの事だったが、そんな事はなくフライトは平穏に過ぎていく。

今度はどれだけ長く飛行機に乗るのかもうわかってしまっているので、機内での過ごし方もそれなりになってくる。
映画「シャフト」を見る。かっこいい。
ニューヨークが舞台のようだ。時々見覚えのあるニューヨークの街角が出てくる。
幸いにしてそのような物騒な場面には出くわさなかったが……。
我ながらちょっと怖くなる。

シャフトを見た後しばし睡眠。4時間ほど寝ただろうが、着陸までにはまだ4時間ほどある。
さっき日付変更線を超えたばかりだ。アメリカは広い。
なんとなく「日本演芸」をヘッドフォンで聞いて、久々の日本語を堪能する。
悲しいかな、頭のどこかで「翻訳回路」が勝手に作動して気が休まらない。
日本語をしゃべり出す前に1秒ぐらい考える時間が必要だ。
隣の席に座っているおじさんが「日本に帰るのは何年ぶりだい?」と聞く。
そんなに行ってないってば。

機内の地図上では、飛行機は北方領土の東を抜け、だんだん日本に近づいてくる。
本州の沖に沿って南下し、そろそろ福島の沖につく。
目的地までの距離の表示を見ると200マイルほどだ。ボストン→ニューヨークが約250マイルだったから、東京→福島が約250マイルと言う事になる。結構な距離を走ってしまったものである。いや、無謀だったのかもしれない。
東京に住んでいる人間で、福島まで日帰りで旅行してしまおうと考える人間はそうそういるもんじゃない。
アメリカは広い。地球はもっと広い。日本は狭い。

着陸まで後1時間。飛行機は千葉の銚子沖に差し掛かる。
成田空港が混雑しているため、少し遅れるとのアナウンスが入る。銚子港の沖で大きな楕円形を1週する。
高度を落として着陸態勢になる。
飛行機は夕暮れ迫る銚子港を左に見て日本の上空に進入する。成田近辺はとても畑が多い。
雪が降っていたせいもあるだろうが、そういえばアメリカではあまり畑が見えなかった。
森をえぐりとったようなゴルフ場。虫食いのような市街地と工業団地。日本にいた時にはそうは思わなかったが、これこそ日本的な風景なのだろう。
一旦西に向かいさらに高度を落としながら左にターンする。
眼下を関越自動車道と総武線の線路が流れる。やがて成田の滑走路に飛行機は降り立った。
13時間30分のフライト。長かった。

飛行機はボーディングブリッジのないスポットに止まった。ドアが開いてタラップを降りる。
暖かかった。コートを着る気になれなかった。
バスで空港ビルに向かい、ウィングの中を歩く。まだあまり日本に帰ってきたという実感は湧かない。
多少天井が低く感じるぐらいだ。

バゲッジクレームで私の預けた荷物の行方を探してもらう。
シカゴ空港で「積み替えに間に合わなかったので明日の便で東京に着く」と言っていたが、あせっていたせいもあるのでもう一度確かめておきたかったのだ。
手荷物案内のお姉さんに捜索を依頼すると、カバンの特徴やら入っているものやらネームタグはついているかとかいろいろ聞かれた。荷物は宅急便で自宅まで届けてくれるらしいが、念のため本当に荷物が積まれていなかったのか確かめようということになった。
いっしょにベルトコンベアのところまで行く。

丁度シカゴからの荷物が流れ始めているところだった。
しかしまあ、日本人の荷物の多い事多い事……。一人でスーツケースを3つも4つも持って帰ってきた人がいる。
私のアパートにある全部の衣類をスーツケースに詰めたとしてもたぶん2つもあれば十分だろう。いやはや、金持ちでいらっしゃる。強盗の的にされるわけだ。

大方の人が荷物を取り終えた後で、おそらく最後のコンテナの中身がベルトコンベアを流れ始めた時に、なんと私の荷物がベルトコンベアに乗って流れてきたではないか。さすがはJAL。やってくれる。
私がもうちょっとアメリカ人になっていたら多分バゲッジクレームを通り過ぎてとっととチェックアウトしてしまっていた事だろう。ハラハラさせやがって。

到着ゲートを出ると彼女が迎えに来てくれていた。
今回のフライトのマイレージがカードに登録されている事を確認して、玄関から外に出てとりあえずタバコを一服。
コートを着ていると汗ばむほどあったかい。彼女はコートとマフラーをしっかり着込んで不思議そうな顔をしている。
日本では私がいない間に3回も雪が降ったとか、今日は昼の間は暖かかったとか、高速道路は空いていたとか、そんな話をした。
気が付くとあたりは薄暗くなってきていた。駐車場から車で出るとあたりには街灯の列が続いていた。
そういえばアメリカではどこに行ってもこんな街灯の列は見ることができなかった。
日本は多分明るい国なのだ。狭い事もわりと捨てたもんじゃないかもしれない。

東関東自動車道から湾岸道路へ。
幕張あたりでもビルの明かりがとってもきれいに感じられた。東京は夢のようだ。
東京を覆う低い雲に映える町の明かりを見て、「日本に帰ってきたんだな」とはじめて実感が湧いた。
「自分にとっての日本」というのは案外一回日本の外に出てみないと本当にわかる事はできないのかもしれない。
少なくとも本当なのかは確かめる事ができないし、日本にいる時には当たり前で些細な事かもしれない。

無性にそばが食べたくなって川崎の地下街で夕食にそばを食べる。
たっぷりとつゆをつけて一気にズルズルと食べてしまった。調子に乗ってざるそばの大盛りを早食いしてしまったのでちょっと苦しい。

懐かしのアパートに帰ってきた。
彼女にはニューヨークで買った、とぼけたクマの自由の女神の人形を、一緒に住んでいる友達には同じくニューヨークで買ってきたベースボールキャップをあげた。
ベースボールキャップはそれしか買ってきていなかったのだが、まあ次にでも買えばいい。
よくよく考えると自分にとっても「お土産」というようなものは何も買ってきていない。
いつもの事なのだが、今回はちょっと惜しいような気がした。

[終わり]


前の日 / トップへ戻る / 掲示板へ