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2001年1月29日月曜日(EST) [出張9日目:Milford, Boston]


「英語ができるっていいのか?」

今日から新しいクラスでの研修が始まる。
金曜日までの製品の研修は終わり、今日からは別の製品のトレーニングを受ける。
こっちは2週間コース。

朝いつものようにいつもの研修所に向かう。
なじみの守衛のおじさんにコースの名前を告げてどこの教室か聞くと、ここではないらしい。
道路をはさんだ向こう側の新館である。やったね。

歩いていくのはしんどいので、車に乗ってちょいと付ける。
こっちのほうが幾分モダンな感じだ。
早速自分の教室に荷物を置きに行くと先生が準備をしていたところだ。時間は8時ちょっと過ぎ。研修は9時からである。
「早いねえ」」と声をかけられて「ちょっと朝食を摂りに」とすらすらっと口に出てきてしまった。
自分でも意識していないほど反射的に口に出てきた。
う~~ん、いよいよ自分の頭の中で「翻訳」をしないで口が英語で答えてくれるようになったか?

新館のほうが幾分小さく、また朝食を食べに来るような人も少ないらしく、本館よりもさらにすいているカフェテリアだった。
まあ、メニューとかは同じなんだけどね。
個人的に、カフェテリアって好きなんだよね。自分の好きなものを好きなだけ選んで食べられるので、アメリカに来て大飯ばかりに殺されそうになっている私にとってはいい胃休めになる。
しかも安いし。大体パンと1品とジュースで$3ぐらい。日本円で350円ぐらいか?その値段でも決して手抜きな内容じゃないから満足である。
「しっかり食べる」ということにおいてはアメリカ人は日本人よりも進んでいるね。
私も常々思っている事だが、就職して働くのは他でもない、家族と自分が「食って寝て遊ぶ」為だ。決して「働くために働く」のではない。そんなのは本末転倒だ。
仕事が忙しいから食事が取れないとか、寝られないとか、遊べないというのは怪我の治療でまた怪我をさせているようなものだ。ただし、責任は責任。
日本人もぜひぜひその点をもっと啓蒙されて欲しいね。そしてもっと真剣に考えて欲しい。しっかりプライベートがあるからしっかり働けるんだよ。しっかりと仕事のできる環境も必要だがしっかりとプライベートを取れる社会的・思想的背景がないと日本人はただオーバーワークするだけの奴隷民族になってしまう。
奴隷民族には新しいものの想像なんてできない。まずは日本の全ての会社にカフェテリアを作るのを国でサポートしてやったらどうだ?
これ、まじめな提案。

さて、研修が始まってまずはお決まりの自己紹介。
なんかの間違いで今日はやけにすらすらと英語が口に出てくる。おいおい、どうしちゃったんだ俺。
おかげでその後の講師のスピードが完全に手加減ない。と、いうか、前の講師は幾分気を使っていてくれていたらしい事に今はじめて気が付く。
やばいなあ……。言語の認識率が自分の中で20%ぐらいまで落ち込む。例によって技術的な部分はまあ勘でわかるのだが、みんなの言っているジョークとか突っ込みが良くわからない。
完全に墓穴を掘ったみたいだ。

最終的にコミュニケーションを成立させるのは「気合」だという考えに変わりはないが、やっぱり「スムーズな意思の疎通」と「より多くの情報の獲得」には「英語力・言語力」というものが必要だね。
しかもそれは、行った事ないのにこんな事言うのは失礼かもしれないが、個人授業の英会話教室じゃ絶対に獲得できないね。
なぜなら、英会話教室では英語を話すのは1人だからだ。そこで自信を持ったところで多人数相手の会話においては能力が追いつかないし、聞きなおしをしまくるのは全体としての話の流れの腰を折ってしまって「場」に逆らう事になる。
格闘技でなく戦場の英語力が必要なんだと思う。

でもそれって外国に行くしかないのか?トホホ……。


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