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2001年2月7日水曜日(EST) [出張18日目:Milford, Boston]


「日本が待ち遠しくないか?」

昨日辺りからだんだんクラス以外の人と話していると、「週末が待ち遠しくないか?」と聞かれる。
その前の質問は決まって「何週間アメリカにいるんだ?」である。

正直な話、日本が懐かしいと言うか、待ち遠しいと言うか、そんな気がおきなくもない。
そろそろ英語ばかりの会話にも飽きたし、ホテルとカフェテリアの食事にも飽きがきている。
食事自体がまずいとかそんな事はないのだが、何と言うか、焼いたり揚げたりしたものが多いので、どうしても油っぽいものばかりになってしまう。たまには何か薄味なもの、刺身とかそばとか、カップヌードルでもいい。そんな汁気が多いものが食べたくなる。
不幸にして研修場の近くのスーパーにはカップヌードルは置いてないらしい。
ちょっと離れたところに中華料理屋さんがあるみたいだが、そこまで行く気にもならない。

体は至って元気だが、多分精神的に疲れが来ているのだと思う。
他でも言ったかもしれないが、自分のネイティブな言葉で、自分の言いたいことが100%伝わらないのはとてもしんどいことだ。
正確に言えば、自分の発した言葉が100%理解されているのか確かめる手段がないのがつらいのかもしれない。

やっぱり英語が自由に話せたほうがいい。
多分他に日本人がいる時には何とかそれを拠り所にして精神を支えていたのだろうが、1週間と半分をWebとメール以外で日本語抜きで過ごすとかなりグロッキーになるようだ。

海外経験がないと「なぜ英語が話せたほうが良いか」ということは絶対にわからなかったと思う。
もし、私が単身でなく誰かとペアを組んでアメリカに来ていたとしたら、たぶんこうはならなかったと思う。
つまり、私は私自身を「英語を話さなければ社会的に抹殺される状態」に追い込んでみたのだ。
それによって普通に日本で英語を学習するよりもより効果の高い学習効果を期待したのだが、それはある意味でかなり達成されたものの、精神的代償はかなり大きかったようだ。
他の人にはあまりお勧めできない。

英語は目的ではない。あくまでも手段なのだ。
ただ、素手でトンネルを掘りつづけるよりも、より確かな道具と測量手段があったほうがより肉体的にも精神的にも効率的な作業ができると言う事だ。
「大リーグボール養成ギブス」は「巨人の星になる」という目的があってこそ意味があるのであって、ただ付けているだけでは苦痛以外の何者でもない。
実際、巨人の星の中でも飛馬は幼少時代大リーグボール養成ギブスをとても嫌がるが、後のプロ時代ではその必要性に気が付いて一徹の大リーグボール養成ギブス2号を快く受け入れている。

今回のケースでは逆かもしれないが、とにかく英語学習の必要性に身をもって気づいたわけだ。
受験やステータスの為では決して得られない、得がたい経験だったと思う。

さて、明日は東京から日本人が来週からの研修を受けにボストンにやってくる。
彼は(彼なのか?実は会った事がない。メールだけだ。)英語がペラペラならしい。いいなあ……。


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