前の日 / 前のページ / トップへ戻る / 掲示板へ / 次のページ / 次の日

 


2001年2月4日日曜日(EST) [出張15日目:Milford, Boston→New York→Boston]


New York! New York!(2)

5:30に起きて、ゆっくりと6:00まで目を覚ます。
外はまだ暗い。明るくなりそうな気配もない。星は相変わらず寒空にきれいに輝いている。

車の中でもう一度ニューヨークまでの道のりとニューヨークに着いてからの道筋を確認する。
是非ともニューヨークには橋を渡って入りたいのでマンハッタン島に入る手前で278号線に乗り換え、トリボロウ橋を渡って北東の方角からマンハッタンに入る道を選ぶ。メモを天井にはさむ。

再び95号線を西に向かう。
辺りがだんだん明るくなってくる。まだ日は昇らない。
付近は高層住宅の立ち並ぶベッドタウンのようだ。

程なくスタンフォードを越え、出口の番号はニューヨーク州までのカウントダウンをはじめる。
運転しながらニューヨーク州の標識を撮ろうと思ったのだが、失敗。

(拡大200%)
左側の看板は「95 West / New York」と書いてあったんだけど、わかんないよなぁ……^^;;;;

とりあえずニューヨーク州に入った!
俄然道はくねくねしだす。ハイウェイが回りから掘り下げられた低い位置に走るようになる。
出口やインターチェンジの密度が濃くなり、道幅も狭くなる。標識を見ながら運転するのが結構つらくなる。
口の中で「278、278、278……」と念仏のように唱えながらでこぼこのくねくね道を走る。

やがて道路は完全に地面より下を走るようになる。時々上にふたがあるような「半トンネル」の個所が多くなる。
ここがどこだか良くわからない。
が、その時とんでもない看板が目に飛び込んできた。

「This is the last exit to Manhattan」

なにい?!?!
急ハンドルを切って出口に飛び込む。
結局良くわからないうちに278の看板を見過ごしてマンハッタン島に上陸していたようだ。

95号線を降りると「HENRY HUDSON PKWY」と書いてある、2車線の一方通行道路に出た。
マンハッタン島の西海岸を北から南へ向かって走るハイウェイだ。
走っている車の運転が途端に荒くなる。戸惑っている私をガンガン車が脇をすり抜けていく。
道幅は東京の首都高環状線ぐらい。路面の状態はさっきの95号線に比べてすらムチャクチャ悪い。

とりあえずマンハッタン最初の目標であるTimes Squareを目指すべく、標識を注視しながら42番通を探す。
ハイウェイをノロノロ走る私の車はさぞ迷惑だった事だろう。
何とか50番代の出口を見つけ、ハイウェイを降りる。

が、降りた先を左折しようと左折車線に並ぶと、左折する先はビルにぽっかりあいた通用門みたいなアーケードだ。
「しまった!」と思い、右車線に移ろうかと思ったが、よく見ると建物を道が貫いているだけだった。
恐るべし、ニューヨーク。

ニューヨークの道路は大まかに言うと、マンハッタン島を東西に走るStreetと、南北に走るAvenueがある。
さらに、Streetはマンハッタン島の中央を境にWestとEastに表示が分かれている。
つまり、〇〇番 West Streetを黙って西から走っていると、いつのまにか〇〇番 East Streetになっているのだ。
最も、マンハッタン島の先端のほうに行くとこのルールは崩壊している。

さらに、わかりやすいんだかわかりにくいんだか、偶数のStreetは基本的に東へ、奇数のStreetは基本的に西への一方通行になっている。もちろん「基本的に」なので、例外もたくさんある。
マンハッタンのStreetはどんな細かな道にも必ず番号が振られている。単なる裏路地だと思っても数えないと入る通りを間違える事になる。

さらに、南北のAvenueにはさりげなくニックネームでの表示がされていたりする。
6番目の通りは「Avenue of Americas」、4番目の通りは「Park Avenue」などなど……。さらに南のほうと北のほうでニックネームが違うところもあるようだ。
Avenueも大体南か北への一方通行になっている。両方向通行の個所もある。
さらにAvenueにはナンバーのない通りもある。「Lexington Avenue」と「Madison Avenue」だ。

あ~~~~ややこし!!なんとかしやがれ!!

とどめは、ブロードウェイだ。
ブロードウェイと言うのはミュージカル街の事でもあるが、同時に実在する道路の名前でもある。
StreetとAvenueの碁盤の目を北西から南東に突っ切る形で通っている。
これが結構Avenueのカウントを狂わせる。逆に、ブロードウェイに入ろうと思ったら、Avenueの配置と名前を覚えておく必要がある。

もちろん、普通のアメリカの道と同じように、交差点ごとに道の名前を表示する標識があるが、ニューヨークにおいてはしばしば看板や信号や屋根の影になっていて見えない事が多い。
標識が見えないからといってブレーキを踏んだりすると途端にクラクションの集中砲火を浴びる事になる。

かくして、クラクションの集中砲火を浴びつつ、何度もマンハッタンの東西を往復しながら何とか42nd Streetに辿り着いた。
中部マンハッタンに辿り着いてから40分以上が経過していた。辺りがだんだん白み始める。

Times Squareの近くのTown Hallの裏ッ側に車を停め、早朝のTimes Squareを徘徊してみる。
朝の7時前だと言うのに、Times Squareにはさんさんとネオンが輝いていた。オーロラビジョン(ふるい?)も延々とコマーシャルを流しつづける。
流れる電光掲示板は縦に横にニュースを流しつづける。
高くて古いビルと新しくて大きなビルがごちゃ混ぜに立ち並んでいる。広告がそれを覆い隠す。
Lennyが「見たほうがいい」と言っていた意味がなんとなくわかるような気がする。

 

 

Times Squareを一通りぶらついて、Port Authority Bus Terminalのバーガーキングで朝食を摂る。
マクドナルドのハンバーガーは日本もアメリカもおんなじだけど、バーガーキングは明らかにアメリカのほうが大きいです。
エッグソーセージビスケットを食べたんだけど、結局全部食べきれなかった……。
バーガーキングはバスを待つ間に食事を摂る人々でそれなりににぎわっていた。
回りにはおびただしい数のタクシーが客待ちをしている。「イエローキャブ」の名前のとおり、本当に黄色い。
ちなみに、私がマンハッタンを走っている間で一番熱烈なクラクションの歓迎をしてくれたのがイエローキャブ達だった。
今ここでお礼を言わせてもらう。凸(▼▼# )

タイムズスクエアを見終わった後は、Liberty Island行きの始発フェリーに乗るためにバッテリーパークへ向かう。
バッテリーパークはマンハッタン島の南端に位置する公園だ。
この頃にはどうやらどこかで朝日が昇っているようだ。でもビルがたくさんで、どこから朝日が昇っているのかわからない。

折角だからバッテリーパークまでブロードウェイを通って行こうとたくらみ、実行する。
地図ではまっすぐ斜めに島を突っ切っているはずなのだが、交差点交差点でわけのわからない交差の仕方をしている。
交差点の真中にいきなり小さな公園があったり、交差点がロータリーのようになっていて路地がたくさんあってどれがブロードウェイかわからなかったり、「みちなりに行く」というのがこれほど難しいところに私はかつて行った事がない。

マンハッタンを南に下るにつれ、だんだん町並みがきれいで、ビルがモダンになっていく。
道も気のせいかもしれないが状態がいいようだ。

なんとかかんとかバッテリーパークの前へ辿り着く。特にバッテリーパークに面したビルはかなりモダンでかっこいい。
観光者向けか?

公園の入り口の芝生でたくさんの犬がたくさんの飼い主と共に朝の運動をしている。
日曜日と言う事もあるのだろうが、飼い主は皆上流階級っぽい。犬も駄犬はいない。
これが「ニューヨーカーの休日」ってやつか?

公園でチケット売り場を探してウロウロしていると、木上で何か飛び回っている。
リスである。ぜんぜん人を怖がっている様子がない。
目の前でごみ箱をあさって何やら食べ始めたので、近づいて写真をとってみる。フラッシュを焚いても逃げない。おどろき。
もっと近づこうとしてカメラとの距離が50cmを切ったらさすがに逃げていった。


いぢめる?

自由の女神はマンハッタン島の南の沖にあるリバティー島にある。
リバティー島にはバッテリーパークから船が出ていて、10分ほどで渡れるとの事だ。
さて、バッテリーパークにはクリントンキャッスルという砦があり、「アメリカ人たちはこの砦を通って渡ってきた」みたいな説明が書いてあった。
どうもこの中に船のチケット売り場があるようなのだが、どこにも入り口がない。
どうやらまだ開いていないようだ。現在8:00am。

付近をぶらぶらとする。
噂のとおり日本人が多い。カップルで新婚旅行に来ている人や、おばさんたちの団体旅行。(お願いだ、もう日本から出ないでくれ!日本人はこうなんだと思われたくない。)家族連れや、大学生とおぼわしき女の子のグループ旅行者などがあちこちにいる。

が、

今回とにかく目に付いたのが「中国人」!
日本人の3倍ぐらいの数がいた。
中国のどこから来ているのかわからないが、みんなそれぞれツアーのバッチを胸に付けて、お土産袋を持って5人ずつぐらいの団体で、ツアコンのお姉さんが旗を持っていて、一発で「団体旅行」と見て取れる。
あそこまで密集して自分たちの世界を作り上げてしまうと周りに与える威圧感は相当なものがある。
しかも「並ぶ」「譲る」ということを知らないし。

また、日本人についてもちょっと思ったのだが、日本人は絶対に私に声をかけてこない。と、いうか、自分たちの仲間以外に誰にも声をかけない。英語を話さない。
イギリス人やドイツ人は私が公園でぶらぶらしていると何度も「シャッター押してもらえますか?」と来たのだが、日本人はただひたすら自分たちで楽しんでいる。
試しに私が英語で話し掛けてみると、大学生の女の子たちはそそくさと逃げてしまい、向こうのほうで何かコソコソ言っている。おばさんとおじさんの集団は「あいきゃんとすぴいくいんぐりっしゅ」とそのままひらがなで発音して、黙殺してしまおうとする。
おいおいお前ら、せめて「日本人じゃないんですか?」って聞き返してみろよ。バカか?
そりゃあ、海外にきてるんだから事故に遭わないように警戒するのは最もだけど、そこまでするのは人を馬鹿にしていないか?
そういう奴らは本当に日本から出ないで欲しい。
「英語がしゃべれないと絶対に日本から出るな!」とは言える柄ではないが、せめて相手の言っている事に何らかの人間的な反応を見せてくれよ。
人の家に上がりこんで家主を無視して自分たちだけで楽しんでたらいくらなんでも家主や先に来ていた客たちはいい気持ちしないと思うぜ。それだったら自分ちの居間で茶でもすすりながらテレビの旅行番組でも見てたら?

と、以後私はニューヨークで日本語を一切使わない事に決めた。独り言も全部英語でしてた。
日本語が聞こえてきてもあえて聞こえない振りをしていた。日本人にも英語で話し掛けた。
残念な事に、今の今までで一番「日本人である」という誇りを傷つけられた場面だった。

続く…………


前の日 / 前のページ / トップへ戻る / 掲示板へ / 次のページ / 次の日