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毒入り-2000年5月9日の変更点

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!!!無題その1

今日は頭が混乱していて多分普段よりも数百倍読みづらい文章になると思うが、それでも何となく書かなくてはいられない心境なのだ。
近年の私の文章の中では恐ろしいまでに「個人的な」文章だけど、もし読んでいただければ幸いである。

こんな話は彼女にしか話した事がない。最も、今となっては「元・」が付いてしまうが。

かっこつけな話かもしれないが、私はいつも「なんで生まれてきたのか?」と考えている。
もちろん両親がいたからと言う事なのだろうが、大事なのは理由ではなく意義の方である。

所詮人の評価なんて死んでから墓石に刻まれるものだが、私が死んだら誰がそれを墓石に刻んでくれるのか?
両親は刻んでくれるはずがない。多分先に死ぬだろうし、そうあるべきだと思う。
まだ見ぬ女房だろうか?場合によるとそれもないかもしれない。私のほうが長生きしてしまうかもしれない。それに一生連れ添ってくれる保証はない。突き詰めてしまえば女房と言えども違う背景を持った他人になってしまうのだ。

国でもない。坊さんでもない。
まさか会社の同僚はそこまでしてくれないだろう。
通りすがりの物好きな慈善家になんて死んでも哀れんで欲しくない。

で、結局誰なのか?
人は死ぬときは一人なのだ。それが当然だと思うし、死んだ人は忘れられていく。死んだ後も多分一人なのだろう。

でもそんな中で子供と友人は別なのではないかと思う。
自分の子供はいつまでたっても自分の子供なのだ。子供の体に私の分け与えた値が流れている限り、お互いがどんなに否定しようと「親子」という事実は一生消すことができない。

友人は、ここで言う友人とは、利害のない、時間と空間を共有する人々である。出入りはあるかもしれないが、私を覚えていてくれる限り、私は誰かの記憶の中で過去を生きることが出来るのではないだろうか。

色々反論はあるとは思う。
「子供は親の所有物ではない!」とか「本当の友人と、そうでない友人をどこで線を引くんだ?」とか、子供も友人も非常に曖昧と言えば曖昧だ。
しかし、モノや記録よりはよっぽど確かだと思う。子供と友人は誰かが作り替えたり歪ませる事は出来ないから。

私自身は結局傲慢不遜な人間なのかもしれない。
というか、おそらくそうなのだろう。今まで何人の人々に世話になり、何人の人々を踏み台にしてきたのか。
傷つけた人もいる。泣かせた人もいる。怒らせた人もいる。
そんな人々に対して私は今まで何をしてきたのか?多分何も出来ずに通りすぎてしまったのだと思う。
ロケットが発射台から飛び出した時の様に、発射台を炎で焦がしてもそれを戻っていたわることはできないのだ。
多分私が通りすぎてきたものを省みる事は私にとっても、私が通り過ぎてきたものにとっても無礼な事なのではないだろうかと思う。ロケットはちゃんと飛び去ってこそロケットなのだ。

正確には「思おうとしている」かもしれない。なぜなら、完全に「無礼でない」人間ならそんな事を考える必要さえないのではないだろうか。

結局人は他の人や物を犠牲にしてしか生きられない。ライオンやトラと同じなのだ。
しかし、「さあ私を食べなさい」と自分が他の人に対して言えるのだろうか?食べられても文句を言わないでいられるだろうか?裏を返せば、私に食べられてきた人々はどうだったのだろうか?これから食べられる人達はどうなのだろう?
それを思うと夜も眠れない。

信念とか主義と言うものは曲がってしまったらその存在意義はない。間違っている時は修正されるべきだろうが、捨ててしまっては絶対にいけないと思う。
信念の下には今までその信念によって犠牲にされた多くのものが詰まっている。
それらは絶対に消える事はない。信念が消えない限り。
信念を振りかざす者はいつもその足元に屍の山があることを忘れてはいけない。

平均的な常識から言えば私はそろそろ人生の1/4以上を来てしまった事になる。
助走期間はとっくに終わって、この先の1/4は人生の終わりに向けての種蒔きをしなくてはならないのだなと、漠然と考える。
先は長いようで短い。ひょっとしたら私だって明日豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまうかもしれない。その時にきちんと「死にたくない!」とあがく事が出来るだろうか?
きちんと「大事なもの」は何なのか見つける事は出来るのだろうか?

中学の修学旅行で京都の「大仙院」というお寺に行ったが、そこの住職(?)が話のうまい面白いお坊さんで、散々わらかしてくれた後に、壁の掛け軸に書かれた説教(?)を読んでくれた。

詳しくは写真になって「宝物箱」の中に入っているはずだが、一番印象的な言葉はこの言葉だった。

「今日しあわせにならずして いつしあわせになるのか」

願わくば、私の通りすぎてきた人々や、通りすぎようとする人々も幸せになって欲しいものである。